独白

「生理的に無理な物」を見て「生理的に無理」と思うのは以前に【「生理的に無理」のイデア】を見たことがあるからだよ

疑似科学と人工と天然

最近、水素水を筆頭に疑似科学関係のネタがよく転がって来ますよね。僕は疑似科学がめちゃくちゃ好きなので、そういった記述を好んで読むのですが、大抵「人工⇔天然」の対比がかなり強調されているので、その辺ちょっと考えてみました。

例えば
でも、ビタミンが破壊された野菜は、分子レベルで破壊が起こっているので、もう野菜ではなく、自然界に存在しない異物となってしまうのです。自然界に存在しない異物を人間は消化・吸収・排泄することはできません。
これはあるネット上の文章からの引用ですが、「自然界に存在するビタミン」に対して「人の手によって壊された人工のビタミン誘導体(異物)」という表現がなされています。
更に、人工物は天然物とは違って人の体には合わない、つまり人体は「自然」側に属する存在である、と主張しています。


この文章、なぜこんなに怪しい雰囲気が漂っているかというと
・分子レベルで破壊って言ってるけど、逆に非分子レベルでの破壊ってなに?
・分子レベルで破壊されると自然界には存在しないものになるの?
・自然界には存在しないものを人間は代謝,排泄出来ないの?
・ていうか本当にビタミンの分子が破壊される(化学変化する)の?
・そもそも論点として、自然側の人間が作ったはずの人工物が、自然と対立する概念とされているのはなぜ?

と、まぁこの辺りの論理展開ではないでしょうか。強引に、これはこうだからこう!って断定されている感じがしますね。私のように物事を信じやすいタイプの人はすんなり納得して引っかかってしまいそうな口調です。

こうして見てみると、「分子」「異物」「消化・吸収・排泄」のような適当な用語を使い、人工物=悪、自然=善の構図を作り出そうと躍起になっているようにしか見えません。まぁきっとそういう商法なんでしょうけど。

有機栽培無農薬!のようなキャッチフレーズは既に使い古されたものではありますが、その魅力はどこにあるのでしょうか。

塾講師のアルバイトをして実感したのですが、人類は割と「分子」「原子」といった概念を理解しきれないようなのです。ですから「化学」という単語に、得体の知れない、非日常的な、怪しく、恐ろしげな響きを感じるのでしょう。そして、「化学物質」(化学の領域で扱われない物質は素粒子くらいなので、凡そ全ての物質は所謂「化学物質」でありましょう)(素粒子を物質と扱うかどうかは知りません)などという名称で「体に良い物」と「体に悪い物」がこの世にはある、と理解されるに至ったと思われます。癌などという原因がわかりづらい病気の存在も、その風潮に拍車を掛けているのでしょう。「発ガン性物質」という単語だけが一人歩きして、癌という病気が本質的にどういう物かを誰も理解しようとしていない。須く病には原因となる「悪者」があるべし、と人は信じている。そしてそれを取り除けば、病は治る、と。そんなもの、呪術と何が違うのだろうか。
よくわからないモヤモヤに、適当に与えられたそれっぽい説明を鵜呑みにするだけなら、その首の上に座ってる大飯食らいの器官はただの重りとしてしか機能していないことになります。

絶対悪と絶対善の二項対立で世界を把握しようとするのはゾロアスター教以来人類の悪癖ですから、「中庸」とか「中道」とか「過ぎたるは及ばざるが如し」とかいう日本語を、日本人にはまず学んでいただきたい。


因みに先ほど引用した記事は、「電子レンジは文明の象徴。電子レンジから発生する電磁波は体に悪い。」という内容でした。可視光も電磁波なの知らないんですかね?


基本的に疑似科学は中学理科程度の知識で草を生やせる良質なエンターテインメントですから、みなさんも親から授かった知性に感謝しながら人生を楽しんで行きましょう。